fseminar.com KGU
ゼミ・フェイスブック・サイト ゼミ・コミュニティ・サイト


ホーム  ニュースニュース投稿  研究室中継  フォーラム  活動履歴履歴を書く  ぜみブログぜみブログを書く  ぜみつぶつぶやく  アルバム写真を登録する  カレンダー予定を書き込む  ダウンロードダウンロード登録  リンクリンクを登録する  ツイッターでつぶやく  フェイスブック  モンハン部 




 

ログイン
ユーザ名:

パスワード:


パスワード紛失

新規登録
注目企画!
インフォメーション
コミュニティ
就職活動
メンバー
授業
福田哲也
サイト内検索

ブログ - 最新エントリー

大学は「学ぶとは何か」を学ぶところ

カテゴリ : 
引用 » 経済・経営
執筆 : 
Blogger's Avatar  2012-12-12 15:11

 そもそも大学は「学ぶとは何か」を学びに行くところ。だから、日本の教授に多い10年前の講義ノートをいまだに使っているなんて最低。そんな教授の板書をノートにとっているようでは、学んだことにならない。それでは単なるテスト対策である。
 もっと言えば、先生の話を聞きながら「自分ならこう考える」「自分ならこういう方向に解釈する」と考えを伸ばしていかなくてはダメ。
 先生の思考をなぞる必要なんてない。「学ぶのはこっちなんだから、ちょっとズレだっていいでしょ」ぐらいのスタンスがないと、地アタマを鍛える方向にはいけない。自分でテーマを見つける能力は育たない。

(澤上篤人『金融の本領―長期投資の精神と価値ある人生について―』)

 

長期投資の精神

カテゴリ : 
引用 » 経済・経営
執筆 : 
Blogger's Avatar  2012-12-10 18:10

 長期投資家はどんなプロセスを踏んで、最終的に応援する会社を決めていくのか。
(中略)
 まず大きな枠組みを眺めてみよう。日本には約3800余りの上場企業がある。最初にこれらの企業あるいは業界全体をフルイにかける。

「まじめに地道に本業に取り組んでいる会社はどこかな」
「普通の人の生活に欠かせないモノやサービスを作りだしている会社はどこかな」
「人類や社会に本質的な富を生みだしている会社はどこかな」
「5年後、10年後も一般生活者にとって欠かせない企業ってどこだろう」
「ただ金儲けに明け暮れるのではなく、倫理観や社会の一員意識の高い会社は?」
「既得権益や利権にしがみついていないで、世界で勝負できている会社は?」

 これらはすべて、長期投資の精神。このスクリーニングから、「ここは長期投資対象として難しいだろうな」という業界や会社が見えてくる。それらの企業はすべて外してしまう。

(澤上篤人『金融の本領―長期投資の精神と価値ある人生について―』)

嫌な人とは会わない

カテゴリ : 
引用 » 経済・経営
執筆 : 
Blogger's Avatar  2012-12-8 11:05

――「リズム」がキーワードなんですね。
澤上 だから、嫌な人とは会わない。一瞬で付き合いを止めちゃう。リズムが狂うから。
――一瞬でわかるんですか。
澤上 結構わかるよ。人間は誰でも、人間の醜さっていちばん敏感に感じるはずなんだよ。紳士ぶってても、ちょっと話せば裏が見えたりする。
(中略)
――相手が社会的にものすごい実力者で、「今度はメシでも行きましょう」と誘われても?
澤上 行かないね。得だとか利益になるかという計算は一切しない。
 まず自分の感性が磨かれるのは「こいつ好きだな」とか「こいつ頑張ってるな」という人間と会うことだよ。「嫌だな」という人間と会うのは、その逆だね。どんどん自分が鈍っていく。波長が合わない人間と時間を過ごしてはいけない。

(澤上篤人『金融の本領―長期投資の精神と価値ある人生について―』87-88頁)

 

人生は「三位一体」

カテゴリ : 
引用 » 経済・経営
執筆 : 
Blogger's Avatar  2012-12-8 11:01

――いま、特に若い人たちのあいだで閉塞感があると思います。何かアドバイスを。
澤上 結局ね、人生は三位一体が揃えば何をやったっていいんだよ。
――三位一体?
澤上 「とにかく自分がやりたいことをやる」「それでそこそこ食べていける」「その仕事を通じて世の中にポジティブな影響を与えることができる」。
 この三位一体。人生の要諦はそこに尽きる。一言でいえば「ワガママ」だね。

(澤上篤人『金融の本領―長期投資の精神と価値ある人生について―』)
 

 

「発展段階」の偏った見方

カテゴリ : 
引用 » 歴史・社会
執筆 : 
Blogger's Avatar  2012-9-15 6:56

 同じく経済史の発展段階とされてきた、狩猟・漁労・採集経済から農耕・牧畜経済、さらに工業を基盤とする産業経済へという経済の“進歩”の定式も、大きな偏りをはらんでいる。実際、商工業の発達した産業経済の段階に入っても、それ以前の生業が滅び去っているわけではなく、社会経済の中で大切な役割を果し続けているのであり、農耕社会になると狩猟・魚労・採集が行われなくなるなどということはありえない。また、モノを生産しない流通・運輸、商業、金融などの活動は、さきにもふれた通り、人類の歴史とともに古いといってもよいのであり、それなしにこうした発展段階は考えられないといってよかろう。

 にもかかわらず、これまでの歴史学は“進歩”の原動力としての農業・工業の発展にもっぱら目を注ぎ、他をほとんど顧みようとしなかった。従来の「日本経済史」はまさしくこの通りだったといわなくてはなるまい。そこでは農業史・工業史が中心であり、山野河海に関わる生業、その産物を原料とした加工業についてはまったく副次的にしか取り上げられなかった。また最近は多少改善されたとはいえ、商業・流通業の研究は、敗戦後の歴史学の中ではまったくの少数派にとどまっていたのである。こうした見方の偏りは、いまは現実の進展そのものによってあきらかにされたのであり、“進歩史観”によって無視され、切り落とされてきた世界にまで広く目を配り、人類社会の歴史像の歪みを、その「壮年時代」にふさわしく正さなくてはなるまい。

(『「日本」とは何か』)
 

価値観の危機

カテゴリ : 
引用 » 経済・経営
執筆 : 
Blogger's Avatar  2012-9-6 11:40

 アメリカの経済危機の根底には道徳の危機がある。アメリカの政財界エリートのあいだで市民としての美徳が衰退している。富者と権力者が自分以外の人びとや世界全体の尊敬と誠意と思いやりを示さなくなったとき、市場経済、法律、選挙といったものは十分に機能しなくなる。アメリカは世界で最も競争の激しい市場社会を作りあげてきたが、その過程で諮問としての美徳を食いつぶしてしまった。社会に責任をもとうとする態度をとりもどさなければ、意味のある持続的な経済復興をはたすことはできないだろう。

(サックス『世界を救う処方箋―「共感の経済学が未来を創る―』)

経済学の仕事

カテゴリ : 
引用 » 経済・経営
執筆 : 
Blogger's Avatar  2012-3-12 2:00

 

経済学は至高の謎解きの科学だと筆者は思う。だが、数理的な解を出すことが経済学だという発想はまさしく幻想だと言っていいだろう。方程式を解くことが経済学ではない。ミステリアスな人間ドラマの筋書きを見極め、登場人物たちの関係をきちんと整理し、そして真犯人を突き止める。それが経済学の仕事だと思う。それを忘れて数字上の辻褄合わせだけに終始するようになると、経済学は何のために何をしている学問なのかをみずから見失うことになる。

(『浜矩子の「新しい経済学」』)

 

強者も一人じゃ生きられない

カテゴリ : 
引用 » 経済・経営
執筆 : 
Blogger's Avatar  2012-3-11 1:50

 

強い者が弱い者を淘汰し尽くし、そして、今度は強い者同士がお互いの徹底排除にかかれば、最終的には誰もいなくなってしまう。一人残った者も、一人勝ちを喜んでいられるのは、つかの間のことだ。なぜなら、経済活動は一人では出来ない。誰かが相手をしてくれなければ、いくらモノをつくってカネを儲けようとしてもダメである。モノづくりを手伝ってくれるヒトもいない。その姿は、弱者食いが自分食いにつながることを忘れたライオンの姿にほかならない。「強者独り勝ちの神話」は、間違いなく、偽りの生存の論理なのである。

(『浜矩子の「新しい経済学」』)

失われた創造性の宝庫

カテゴリ : 
引用 » 経済・経営
執筆 : 
Blogger's Avatar  2012-3-10 0:00

 

かつての日本企業においては、どんぶり勘定的な分かち合いの世界がそれなりに機能していた。部門と部門との間に存在するすき間の部分について、お互いに気配りする気風があった。その中で、新しい発想が生まれたりもした。すき間の部分が創造性の宝庫だったりする面があったのである。

ところが、自己責任で部門別収益を追求するようになると、そうはいかない。部門間のすき間において、人々が出会わなくなった。そこで一緒に考えることがなくなった。そんなゆとりは消えてしまった。その結果、かつては創造性の宝庫だった部門と部門の間のすき間が、今や、不毛の砂漠地帯と化している。

(『浜矩子の「新しい経済学」』)

 

個の合理的行動と不合理な結末

カテゴリ : 
引用 » 経済・経営
執筆 : 
Blogger's Avatar  2012-3-8 20:39

 

実際に、いつの頃からか、地球を舞台とする我々のドラマの中からは会話が消え失せてきたように思う。誰もが自己責任の殻の中に閉じこもってしまった。多少なりとも話し合ってみれば展望が開けたかもしれない。それなのに、沈黙の自己貫徹・自己完結の中で局面打開の可能性をみずから封じ込めてきた。

(『浜矩子の「新しい経済学」』)

 

カテゴリ一覧
最新のブログ投稿
ブログのトップへ
最新のコメント
 
   Powered by XOOPS  Desinged by OCEAN-NET copyright (c) 2005 All right reserved.